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横須賀の総合病院にて 亡くなっても家に帰れない

2012/05/14 22:22

 

私の母は、入院中に血液透析用のカテーテルが抜け、出血し、意識の戻ることなく亡くなった。その母が亡くなったのは、4年前。

現在、横浜地方裁判所にて裁判を行っている。

 

-----------入院・診療経緯---------------------------------------------------

母は、首の膿を抗生剤にて減らすため、

2週間の予定で入院したのが11月30日。

入院時の説明資料では1週間と記載されているように

念のための入院だった。

 

その首の化膿は抗生剤では無くならず、手術で除去した。

その手術を行ったことで 母は口から食べられなくなった。

 

12月27日、主治医から消化管の出血の疑いがあると説明を

受け、年明けに内視鏡検査を行うと説明を受けていた。

 

しかし、炎症部位を鑑別する検査は行われなかった。

そして、1月10日、腸が破裂してしまう。外科医師から胃に穴があいてしまい手術しても、成功率0.01%,それでも手術するかと言われた。私は、母が下腹部が痛いと聞いていたため、手術することを決断し、胃ではなく腸だったため、手術は成功した。その後、母は回復傾向であり、一般病棟に移されていた。

-----------------------------------------------------------------------------

 

1月27日AM2時20分頃、看護師が血液透析用のカテーテルが抜けて、多量出血していた母に気づいた。

母の心肺は停止していたのである。

その後、なんとか蘇生し、ICUに入室となり、2月9日まで母は

がんばった。

でも、2月9日に意識が戻ることなく、亡くなってしまう。

その時間は、22時30分すぎだった。

 

その時、私がICUを出ると、病院内が騒しい。
 

私は病院の廊下に警官がいることに気がつき、


その警官を捕まえて、いきさつを説明、捜査をお願いした。事件性の可能性があると。

その後、警官は病院関係者と話をしているのか、姿が見えなくなる。

 

私たち家族は待たされ、やっとAM2時頃、病院関係者がでてきて葬儀屋をよんで帰れという。

そして、死亡解剖するため、母は家には直ぐ帰れないといいだした。

 

私たち家族は、叫んだ。

死亡解剖は必要ない!

カテが抜けて、多量出血して亡くなったは明確だ。

入院している患者の安全責務は病院側にある。

家に連れて帰るんだ。と

 

でも、私たち家族の訴えは認められず、

結局、母が自宅に戻れたのは1週間後となる。

 

始発電車は動くまでファミレスに入り、兄弟と話をしたが

誰も納得しているはずはなかった。

5人兄弟だが、男はおれだけ。私は、がんばることを決意する。

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横須賀の総合病院にて 事故報告

2012/05/13 06:55

 

私の母は、入院中に血液透析用のカテーテルが抜け、出血し、意識の戻ることなく亡くなった。その母が亡くなったのは、4年前。

現在、横浜地方裁判所にて裁判を行っている。

 

-----------入院・診療経緯---------------------------------------------------

母は、首の膿を抗生剤にて減らすため、

2週間の予定で入院したのが11月30日。

入院時の説明資料では1週間と記載されているように

念のための入院だった。

 

その首の化膿は抗生剤では無くならず、手術で除去した。

その手術を行ったことで 母は口から食べられなくなった。

 

12月27日、主治医から消化管の出血の疑いがあると説明を

受け、年明けに内視鏡検査を行うと説明を受けていた。

 

しかし、炎症部位を鑑別する検査は行われなかった。

そして、1月10日、腸が破裂してしまう。外科医師から胃に穴があいてしまい手術しても、成功率0.01%,それでも手術するかと言われた。私は、母が下腹部が痛いと聞いていたため、手術することを決断し、胃ではなく腸だったため、手術は成功した。その後、母は回復傾向であり、一般病棟に移つれていた。

-----------------------------------------------------------------------------

 

1月27日AM2時20分頃、看護師が血液透析用のカテーテルが抜けて、多量出血していた母に気づいた。

母の心肺は停止していた。

その後、なんとか蘇生し、ICUに入室となり、2月9日まで母は

がんばった。

でも、2月9日に意識が戻ることなく、亡くなった。

その時間は、22時30分すぎだった。

 

その後、私がICUを出ると、病院内が騒しかった。
 

私は病院の廊下に警官がいることに気がついた。


何が起きたか聞くと一般病棟で急に心肺停止になった入院患者がその日にいた。

そして亡くなってしまい、その方の家族が、家族がすでに警察を呼んでいた。

私はその警官を捕まえて、いきさつを説明し、捜査をお願いした。事件性の可能性がある。

その後、医療対策委員と外科医師と話をした。

私は、『事故の報告をしていますか。』と尋ねた。

すると医療対策委員は、『二週間で報告すればよいことになっている』 と答えた。

 

カテが抜けて今日で13日目。

病院は事故報告なんて行うつもりなかっだと私は感じた。

 

多分、亡くなったから事故報告すると答えたのだろう。

 

カテーテル逸脱して心肺停止になっても事故報告をしないのでは

ないか。

 

でも後に本当に頭にきたのは、その事故報告の内容だった。

 

後に詳しく記載するが、病院は、『病死』と報告していた。

 

また、その報告内容は、私が見た事がある『文章』が記載されていた。

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横須賀の総合病院にて 母が亡くなった時

2012/05/07 23:59

 

私の母は、入院中に血液透析用のカテーテルが抜け、出血し、意識の戻ることなく亡くなった。その母が亡くなったのは、4年前。

現在、横浜地方裁判所にて裁判を行っている。

 

1月27日AM2時30分頃、私の携帯が鳴った。

 

母が心肺停止になったとの電話だった。

 

私が病院に入った3時頃は、まだ、心肺停止状態。

 

そして、別室で当直医から、カテーテルが抜けた出血による

心肺停止だと説明を受けた。

 

その後、なんとか蘇生し、ICUに入室となった。。

 

1月30日、外科部長からの要請で行った打ち合わせで、病院は臨床現場で確認せずに、母自身が抜いたと説明してきた。 

私はリハビリ医師を呼んだ。

 

私は、打ち合わせ前から病院が最悪の体質の場合には、

母のせいにすると考えていた。

そのような事態になった場合には、先日リハビリで母を視ていたリハビリ医師を呼ぼうと考えて打ち合わせに望んていた。 

 

私の悪い予感が当たった。

 

リハビリ医師は、母にそのような力がなかったと回答した。

 

家族の目の前でリハビリしているのだから、嘘はいえない。

 

 そうすると、消化器内科部長が、『皮膚との遊びでぬけたとしか考えられない』と私に説明を行った。

 

この部長、まじめにいっているのか?正気か?と耳を疑った。

カテは、さまざまな看護で使用されているのにあり得ない!

 

母の生命は、皮膚との遊びで断たれてしまうのか?

私は疑いの目で病院関係者たちを見た。

 

さらに、1月10日に起きた腸閉塞についても疑問を持っていた。

 

12月27日、主治医は炎症反応があるので年明けに内視鏡検査を行うと説明していた。

 

しかし、内視鏡検査など炎症部位を鑑別する検査は実施されなかった。

1月30日の打ち合わせで、消化器内科の医師が私に説明したことは 内視鏡検査をしていたら、腸が破裂していたという。

 

でも、内視鏡検査をしないで、炎症反応があった母に何を病院はしてくれたのか。放置していただけではなかろうか、少なくても1月30日の打ち合わせで病院は治療の説明をしなかった。

 

どう治療、看護していたのか。全く説明がないことに苛立ちを

募っていた。

 

私たち家族は、カテが抜けた1月27日から、毎日 病院で母に声をかけていた。

 

意識を取り戻して!

 

そうした中、外科部長から重力で抜けたと説明を受けたことに

私たち家族は呆れた。

いい加減、どう看護していたか、説明してほしいと・・

拘束許可書も私は提示していたのに。

 

でも、意識が戻ることなく、2月9日に母は亡くなった。

時間は22時30分すぎだった。

 

その時、病院内が騒がしかった。

 

私がICUからでた時、あることに気がついた。

 

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横須賀の総合病院にて、 私が了解したことになっている?

2012/05/01 23:20

 

私の母は、入院中に血液透析用のカテーテルが抜け、出血し、意識の戻ることなく亡くなった。その母が亡くなったのは、4年前。

現在、横浜地方裁判所にて裁判を行っている。

 

1月27日AM2時20分、カテーテルが抜けたことが確認され、

その時、母は心肺停止状態だった。

 

その後、なんとか蘇生し、ICUに入室となったが、意識が戻らなかった。

 

1月30日、外科部長からの要請で打ち合わせを行うこととなったが、病院は、カテーテルが抜けた後、母自身がカテーテルを抜いたと説明した。

 

しかし、私は、母が手足を動かせないことを知っていた。

そして、そのことを知っている病院関係者がいることも知っていた。それは、リハビリ医師だ。

 

その打ち合わせで私は、リハビリ医師を呼び、そのリハビリ医師が、母に抜く力がなかったと発言した。そうすると、病院は慌てた。すなわち、病院は臨床現場に確認も行わずに母自身が抜いたと説明したのである。

そして病院は、あろうことか、皮膚との遊びで抜けたとその場しのぎと思われる説明を私にした。

 

さらに、この皮膚との遊びで抜けたと発言した消化器内科医師が

続けて、私に以下のように発言した。

 

『外科医師がそんなに責められてかわいそうだ。下腸間膜閉塞症をしっているのか。一度は助けてやったんだから、感謝しろ!」』

 

その時も、その後も、病院は、私に下腸間膜閉塞症を説明することは、無かった。

 

でも、その腸閉塞について、私が疑問を持っていた。

 

12月27日、医師から炎症反応が確認できているので、内視鏡検査をすると説明を受けていた。

その時、医師が私に説明したメモも残されている。

 

でも、内視鏡検査をおこなうことなく、1月10日に腸が破裂した。

 

私は、1月30日の打ち合わせで『何故、内視鏡検査をしなかったのか。尋ねた。

 

すると、消化器内科部長が『お母さんの腸は、内視鏡検査をしていたら、今にも破裂してしまう状態だった。』と発言した。

それも、二人の医師が同じことを答えた。

 

この時、

私は、以下のことを考えた。

 

・医師が本当のことを話しているとするならば、何故、病院は、母

 にとって不可能な検査であるにも関わらず、患者家族に実施す

 ると説明していたのか?

 

・1月4日、何故、患者家族に消化器は問題ないと説明し、母

 にヨーグルトを食べることも許可したのか。その医学的根拠は

 何か?

・炎症は、本当に解消されていたのか?

 

当時、炎症部位が腸だとわかっていなかったはず、

検査は内視鏡以外にもある!

 

私は、この打ち合わせ後、納得できず、泊っていたICU控室で

問い合わせの文章を書き、病院に提出した。

 

この1か月後、病院から上記打ち合わせの議事録が届いた。

 

その議事録に信じられないことが記載されていた。

 

『その打ち合わせで私が消化器内科について了解した』ことに

なっていた。

 

後に、病院は、横須賀市にも『私が消化器内科について了解した』と報告している。

 

私は、納得できないことが多数あるのに・・

 

そして、私は 行動をおこした。

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横須賀の総合病院にて カテーテルが抜けた時(2)

2012/04/29 07:31

 

私の母は、入院中に血液透析用のカテーテルが抜け、出血し、意識の戻ることなく亡くなった。その母が亡くなったのは、4年前。

現在、横浜地方裁判所にて裁判を行っている。

 

カテーテルが抜けたと連絡が来たのは1月27日のAM2時30分頃。私はAM3時頃に病院に入った。

そうすると、ベット上に寝ている母を蘇生させようと心臓マッサージをしていた。シーツまで出血している様子だった。

 

しばらくすると、当直医師から出血によるショックと説明を受けた。

 

では、この出血はいつ、発生したのか。

 

それは、ズバリ看護師が抜けている事に気付いた時間の

10分ほど前。

 

2時10分頃と私は推測している。

 

何故、そう考えるかというと、カテーテルを挿していた部位は

大腿(だいたい)静脈であった。

 

大腿静脈は、脚の付け根に近いところにある血管になります。

 

どんな血管かというと、

動脈を介して下肢(足)に血液を送られますが、大腿静脈は、その下肢の血液を心臓に還す役割をしています。

 

そのため、大腿静脈の血流量は、静脈でありながら、

1分間あたり100ml以上見込める。

 

よく、事故に遭ったときなどの緊急時に使用される。

使用される理由は、血流量があり、止血しやすいため。

 

陰部に近いことから感染のリスクがあるため、緊急時に使用されることが多い。

 

話を時間のことに戻すと

母の場合、心臓が一時、止まってしまったので致死レベルまで出血したと考えられ、少なくとも1リットルは、出血した。

 

すなわち、10分程度で1リットルの出血が見込める。

 

病院関係者がいつ、最後に母を動かしたのか、

私は、焦点の一つと考えており、看護師から話を聞きたかった。

でも、翌日以降、 この日に勤務していた看護師3人とも

病院で会うことはなかった。

 

私は、看護師に会わしてほしいと外科医師に訴えてところ

 

外科医師から以下のように返信された。

 

『看護師がかわいそうだ』 

 

その時、もう呆れて、返す言葉もなかった。

 

現在、病院は、静脈のため、多量の出血が予期できなかったと

反論しています。

 

でも、そもそも何のためにカテーテルを使用したかを考えてみると病院の反論は矛盾してくる。

 

血液透析を行うために使用していたカテーテルなのだから

 

循環できる血流量を確保しなければならない。

 

血液透析を行う時間が長いと透析患者の精神的は負担だけでなく、体内が中毒症状に陥る。そのため透析はだいたい4時間以内で行う。

 

病院が反論しているように静脈だから出血しないならば、

大腿静脈を使用せずに 腕や足の静脈を何故使用しなかったのか。

大腿静脈を挿すために15cm程度の長いカテーテルを体内に挿しているが、腕や足の静脈なら1cmもいらない。もし病院がいっているように血流量の少ない静脈なら、他に存在するので、患者に過大な負担を与えている。

 

一般に血液透析を行うにあたり、腕の動脈を静脈にバイパスさせて、血流量のある静脈を形成するシャント手術を行い

日々に透析を行っている。

 

病院は、静脈だからという言葉で、裁判官を説得しようしていると

私は考えている。

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★横須賀の総合病院にて カテーテルが抜けた時・・

2012/04/27 05:53

 

私の母は、入院中に血液透析用のカテーテルが抜け、出血し、意識の戻ることなく亡くなった。その母が亡くなったのは、4年前。

現在、横浜地方裁判所にて裁判を行っている。

 

カテーテルが抜けたと連絡が来たのは1月27日のAM2時30分頃。私はAM3時頃に病院に入った。

そうすると、ベット上に寝ている母を蘇生させようと心臓マッサージをしていた。シーツまで出血している様子だった。

 

私が、病室に入ろうとすると止められ、別室で待機するように

言われた。その間、兄弟に電話をかけ、呼び寄せた。

 

しばらくすると、当直医師から説明があった。

 

その内容は、出血によるショック。

 

すなわち、致死レベルまで出血した。

 

人間の血液の総量は4~5リットル。

致死レベルは40%程度の出血で陥る。

 

母が小柄なことその後、蘇生したこと、を考えても1リットルは

出血したと思われる。

 

カテーテル逸脱を看護師が気付いた時間は2時20分。

 

では、何時頃に事件が起きたのか。

 

次に私が推測する、その抜けた時間の話をします

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横須賀の総合病院にて 三回目の公判

2012/04/24 05:48

 

私の母は、入院中に血液透析用のカテーテルが抜け、出血し、意識の戻ることなく亡くなった。その母が亡くなったのは、4年前。

現在、横浜地方裁判所にて裁判を行っている。

 

病院は、カテーテルが抜けた後、母自身がカテーテルを抜いたと説明した。

しかし、私は、母が手足を動かせないことを知っていた。

そしてそのことを知っている病院関係者がいることも知っていた。

それは、リハビリ医師だ。

その打ち合わせで私は、リハビリ医師を呼び、そのリハビリ医師が、母に抜く力がなかったと発言した。そうすると、病院は慌てた。すなわち、病院は臨床現場に確認も行わずに母自身が抜いたと説明したのである。

そして病院は、あろうことか、皮膚との遊びで抜けたとその場しのぎと思われる説明を私にした。

 

別の日、呆れることに外科医師からカテーテルが重力で抜けたと説明を受けている。

 

現在、病院は、カテーテルが抜けることは臨床現場で不回避に送りうることだと反論し、病死を主張している。

裁判しないことが不思議だ!と医師から言われ、私は裁判を行うことを決意した。

 

先週金曜日に、3回目の公判を迎えた。

公判といっても 円卓に私の弁護士と病院の弁護士、そして

裁判官が座って話をするスタイル。

病院の弁護士は二人が参加。そのうち、一人は医師資格をもっていることを売りにしている。

 

前回の公判で病院側から反論が提示されていたことから、

今回は、私からの反論を提示した。

反論といっても、まだ手の内は、ほとんど見せずに序の口の

反論、問い合わせの内容となっている。

 

でも、病院側は、今回の私の反論について検討するのに50日ほしいと回答した。

裁判において、一度提示したことを訂正することは、相手側の承認も必要となり、また信憑性を疑わせることになるため、慎重に

なることは理解できる。

しかし、プロなら簡単に確認できる内容の今回の質問について

50日は長い。容易に検討ができる内容のはずなのに。

 

何故、時間が必要なのか。

 

つじつまが合わなくなる可能性があるから。

 

病院側が全て正しいことを裁判で提示しているならば、つじつまが合わなくなる事はない。

本当のことをそのまま提示するだけなら、時間もかからない。

私は、その矛盾をついていく。

 

これから、単にカテーテル逸脱といったことだけでなく、医療の概念での裁判を行っていく。母は入院中に多くに病気にかかってしまった。でも病院主張している病死を医療指標をベースに裁判で崩していく。

 

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横須賀の総合病院にて 事故発生日に家族がみたこと4

2012/04/20 06:55

 

私の母は、入院中に血液透析用のカテーテルが抜け、出血し、意識の戻ることなく亡くなった。その母が亡くなったのは、4年前。

現在、横浜地方裁判所にて裁判を行っている。

 

病院は、カテーテルが抜けた後、母自身がカテーテルを抜いたと説明した。

しかし、私は、母が手足を動かせないことを知っていた。

そしてそのことを知っている病院関係者がいることも知っていた。

それは、リハビリ医師だ。

その打ち合わせで私は、リハビリ医師を呼び、そのリハビリ医師が、母に抜く力がなかったと発言した。そうすると、病院は慌てた。すなわち、病院は臨床現場に確認も行わずに母自身が抜いたと説明したのである。

そして病院は、あろうことか、皮膚との遊びで抜けたとその場しのぎと思われる説明を私にした。

 

別の日、呆れることに外科医師からカテーテルが重力で抜けたと説明を受けている。

 

現在、病院は、カテーテルが抜けることは臨床現場で不回避に送りうることだと反論し、病死を主張している。

裁判しないことが不思議だ!と医師から言われ、私は裁判を行うことを決意した。

 

今日、3回目の公判を迎える

 

以下が、ブログの続きです。

 

口と首上部の化膿を抗生剤で減らすために、念のため、二週間の予定で入院したのは、11月30日。

その後、 消化管出血が疑いがあり、、年明けに内視鏡検査をすることを耳鼻科の医師から説明をうけていたが、1月4日、造影剤なしの単純CTを行った結果、医師から、問題ないと言われ、内視鏡検査は行われなかった。しかし、6日後の 1月10日、腸閉塞となってしまう。手術確率0.01%、胃に穴が開いた。それでも手術するのかと言われたが、私は、母がへそから下が痛いと聞いていたため、手術することを決断。でも穴が開いていたのは、胃ではなく腸だった。人口弁を設置し母は、なんとか、助かった。

 

その後、ICUから一般病棟に移動した後、カテーテルを逸脱した日を迎えた。

 

そのカテーテルが抜け、多量出血が確認された時間は、1月27日AM2時20分ごろ。


その日、妹がその二時間前まで病室にいた。

 

 妹が入室したのは、21時前。

妹は、便がシート、布団まで染みている状態であることに気がついた。

母は、16日前に腸閉塞になり、腸を一部取り除く出術を行っていた。その結果、人口便が設置され、便はパウチという容器に一時的に溜める処理がされていたが、そのパウチが体の下敷きになって、便が漏れてしまっていた。


布団までずいぶん染みているので長い時間、下敷きになっていたと思われる。
妹はシーツを取り換えるなどの処理をしてもらうため、

看護師に訴えたが、看護師はすぐに対応できず、待たされ、 

処理してもらったのが23時すぎ。

 

その後、母が呼吸が苦しいと訴えた。
その酸素供給装置の確認をしてもらうのに、苦しいと訴えている母を前に妹は看護師が処理するまで帰れなかった。
看護師が対応して時間が、妹が最終電車に乗れるギリギリの時間の0時20分。看護師が酸素ボンペを確認するのを見て
妹は帰宅した。

妹は、対応がズサンであったと当時を振り返る。

 

現在、病院は、妹から0時20分頃にらルート類の異常の訴えが

なかったと反論されている。

しかし、私たち家族は、どうチェックするか、病院から聞いてない。

そもそも、カテーテルなどの医療のルート類までも患者家族がチェックしないくてならないのか。

 

この時、看護師も病室に居たのに・・

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横須賀の総合病院にて 事故発生日に家族がみたこと3

2012/04/19 05:55

 

私の母は、入院中に血液透析用のカテーテルが抜け、出血し、意識の戻ることなく亡くなった。その母が亡くなったのは、4年前。

現在、横浜地方裁判所にて裁判を行っている。

 

病院は、カテーテルが抜けた後、母自身がカテーテルを抜いたと説明した。

しかし、私は、母が手足を動かせないことを知っていた。

そしてそのことを知っている病院関係者がいることも知っていた。

それは、リハビリ医師だ。

その打ち合わせで私は、リハビリ医師を呼び、そのリハビリ医師が、母に抜く力がなかったと発言した。そうすると、病院は慌てた。すなわち、病院は臨床現場に確認も行わずに母自身が抜いたと説明したのである。

そして病院は、あろうことか、皮膚との遊びで抜けたとその場しのぎと思われる説明を私にした。この対応をされて、私が追及すると消化器内科の医師が、以下のようにいった。

 

『下腸間膜閉塞症をしっているのか、一度は助けてやったんだから感謝しろ』

 

医師は、私を黙らせるためにこの発言をしたと思われる。

そして、医師は私に下腸間膜閉塞症を説明することは無かった。

私は、別の日にも、この医師から同じような発言を受けている。

どうも、状況が悪くなるとこのようは発言が自然とでてくる。

 

現在、病院は、カテーテルが抜けることは臨床現場で不回避に送りうることだと反論し、病死を主張している。

裁判しないことが不思議だ!と医師から言われ、私は裁判を行うことを決意した。

 

以下が、ブログの続きです。

 

口と首上部の化膿を抗生剤で減らすために、念のため、二週間の予定で入院したのは、11月30日。

その後、 消化管出血が疑いがあり、、年明けに内視鏡検査をすることを耳鼻科の医師から説明をうけていたが、1月4日、造影剤なしの単純CTを行った結果、医師から、問題ないと言われ、内視鏡検査は行われなかった。しかし、6日後の 1月10日、腸閉塞となってしまう。手術確率0.01%、胃に穴が開いた。それでも手術するのかと言われたが、私は、母がへそから下が痛いと聞いていたため、手術することを決断。でも穴が開いていたのは、胃ではなく腸だった。人口弁を設置し母は、なんとか、助かった。

 

その後、ICUから一般病棟に移動した後、カテーテルを逸脱した日を迎えた。

 

そのカテーテルが抜け、多量出血が確認された時間は、1月27日AM2時20分ごろ。


その7時間前の19時頃、姉夫婦が面会にきていた。 


母が寒いと訴えたので義兄が、ナースセンターにいた看護師に訴えて、温度計を持って部屋にてきてもらい、体温測定と部屋の温度設定を変更してもらった。

その後、妹が面会にやってきた。

 妹が入室したのは、21時前。

まず、妹は、母のベット上に体温計が転がっているのに気がついた。体温測定の温度計が、母の腕からはずれて放置されている状況だった。体温を確認しているならば、放置はされていないだろう。2時間放置されていたことになる。

続いて、妹は、あることに気付いた。

それは、便がシート、布団まで染みている状態だったこと。

母は、16日前に腸閉塞になり、腸を全て取り除く出術を行っていた。その結果、人口便が設置され、便はパウチという容器に一時的に溜める処理がされていたが、そのパウチが体の下敷きになって、便が漏れてしまっていた。


布団までずいぶん染みているので長い時間、下敷きになっていたと思われる。
妹はシーツを取り換えるなどの処理をしてもらうため、

看護師に訴えたが、看護師はすぐに対応できず、待たされた。

 

そしてシーツの取り換えなどやっと処理してもらったのが23時すぎ。この時に母の体位が変更になった。

 

でも、まだ妹は帰ることができなかった。

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横須賀の総合病院にて 事故発生日に家族がみたこと2

2012/04/16 22:20

 

私の母は、入院中に血液透析用のカテーテルが抜け、出血し、意識の戻ることなく亡くなった。その母が亡くなったのは、4年前。

現在、横浜地方裁判所にて裁判を行っている。

 

病院は、カテーテルが抜けた後、母自身がカテーテルを抜いたと説明した。

しかし、私は、母が手足を動かせないことを知っていた。

そしてそのことを知っている病院関係者がいることも知っていた。

それは、リハビリ医師だ。

その打ち合わせで私は、リハビリ医師を呼び、そのリハビリ医師が、母に抜く力がなかったと発言した。そうすると、病院は慌てた。すなわち、病院は臨床現場に確認も行わずに母自身が抜いたと説明したのである。

そして病院は、あろうことか、皮膚との遊びで抜けたとその場しのぎと思われる説明を私にした。この対応をされて、私が追及すると消化器内科の医師が、以下のようにいった。

 

『下腸間膜閉塞症をしっているのか、一度は助けてやったんだから感謝しろ』

 

これは、母が意識がなくなっておる最中に言われた言葉です。

            私は、一生忘れない。

 

現在、病院は、カテーテルが抜けることは臨床現場で不回避に送りうることだと反論し、病死を主張している。

裁判しないことが不思議だ!と医師から言われ、私は裁判を行うことを決意した。

 

以下が、ブログの続きです。

 

口と首上部の化膿を抗生剤で減らすために、念のため、二週間の予定で入院したのは、11月30日。

その後、 消化管出血が疑いがあり、、年明けに内視鏡検査をすることを耳鼻科の医師から説明をうけていたが、1月4日、造影剤なしの単純CTを行った結果、医師から、問題ないと言われ、内視鏡検査は行われなかった。しかし、6日後の 1月10日、腸閉塞となってしまう。手術確率0.01%、胃に穴が開いた。それでも手術するのかと言われたが、私は、母がへそから下が痛いと聞いていたため、手術することを決断。でも穴が開いていたのは、胃ではなく腸だった。人口弁を設置し母は、なんとか、助かった。

 

その後、ICUから一般病棟に移動した後、カテーテルを逸脱した日を迎えた。

 

そのカテーテルが抜け、多量出血が確認された時間は、1月27日AM2時20分ごろ。


その7時間前のPM7時頃、姉夫婦が面会にきていた。 


母が寒いと訴えたので義兄が、母にナースコールをさせようとしましたが、押すことができず、母の代わりに義兄が母の代わりにナースコールを押した。

 

でも、一向に看護師が母の部屋に来ないので、義兄は、廊下にでで、看護師に声をかけた。声をかけられた看護師は部屋にきたものの、何も処理せず、退出してしまった。しかたなく、義兄は、もう一度廊下にでて別の看護師に声かけしましたが、
また、何もせずに退出し、再々度、今度はナースセンターにいた別の看護師に訴えてやっと温度計を持って部屋にてきてもらい、体温測定・部屋の温度設定を変更してもらった。

その後、妹が面会にやってきた。妹は、病院と交渉し、時間に関係なく面会することの許可を得ていた。

 

まず、妹は、母のベット上に体温計が転がっているのに気がついた。

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